敬老の日に思う

昨日、サービス付き高齢者住宅に住む叔母に会いに行きました。
動作はさすがに緩慢になってはいるものの、頭の切れはするどく記憶力も全く落ちていない叔母には いつも驚かされます。

そんな叔母が、人生の最期ぐらい自分で決めたいものやねえ。と言いました。

わたしの母はアルツハイマー型認知症でした。そうと判明した当初、母自身何もわからなくなっていくことを日々泣いて訴えていました。死にたいと何回泣かれたことでしょう。
本当に残酷な病気です。当時のことを思い返すだけで唇が震えます。

何度『安楽死』という言葉がよぎったかわかりません。

今から40年くらい前に『ソイレント グリーン』という映画を観ました。
人口増加と環境破壊によって、配給されるソイレント グリーンという薄緑色のクラッカーしか食べる物がなくなり、半分無法状態になった近未来を描いた映画でした(ショッキングな結末です)。
全体的に灰色で重苦しい画面でしたが、ある場面だけ感動的なほど美しく描かれていました。公営の安楽死ホームで主人公と仲の良かった老人が自ら息を引き取る場面です。
おそらく『薬』が入れられた飲み物を飲んだ老人が、クラシック音楽が流れる中 まだ自然が残り美しかった大地や空の様子がドーム状のスクリーンに映し出されるのを横になって眺めている場面です。

まだ学生で『死』を遠いものとしか感じることができなかったわたしでしたが、このホームのような場所があれば人間の尊厳を保って人生を終わることができるのではないか、と肯定的に捉えていました。

人生の折り返し地点をとうに過ぎた今となっては、それは絵空事ではなくなってきたように思います。『終活』という言葉が軽やかにテレビでも流れる今日です。誰もが自分の最期ぐらい自分で決めたいと思うのでしょうが そうはうまくいきませんね。
それならせめて今日は本当にいい日だった、と毎日思えるように生きたいものだと思うのですよ。

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