漫画「銀色の髪の亜里沙」がわたしに教えてくれたこと

今日、懇談で保護者の方と話をしていて、ふと思い出しました。
以前にラフラーン便りに書いた記事ですが、載せておきます。

もう、40年以上昔の話です。妹が読んでいた少女漫画(マーガレットだったような・・・)をわたしも一緒になって楽しんでいました。
その中に、わたしの今日の学習における考え方の礎になる話が載っていました。
その題名は『銀色の髪の亜里沙』といいます。後に単行本化されたと思うので、お読みになった方もいらっしゃるかもしれません。

確か、小学生だった亜里沙が、仲良しの女の子を3人呼んでお誕生日会を開いていたとき、何でそうなったのか忘れてしまったのですが、この仲良しだと思っていた友だちによって亜里沙が崖から突き落とされるというのが第一話でした。

崖から落ちた亜里沙は一命を取り留めたものの、5~6年程の間を地下の鍾乳洞で暮らすことになります。
この鍾乳洞には探索に来ていて出られなくなったのか、考古学者(?)の老夫婦が住み着いていました。
亜里沙はこの老夫婦から多くの知識を得、地下水路に生息する魚を捕って生き長らえ、地上に出る方法を探していました。
老夫婦の死後、色のついた山椒魚(地下なので太陽の光が届かず、ここに生息する動物はみな色が無く白い。亜里沙の髪も銀色になってしまった。)をみつけて地上に何とか出た亜里沙は、自分を突き落とした3人に復讐すべく、彼女らが通う高校に転学してくる、と話は続きます。
ここで息を呑む展開があり、どんどん物語に引き込まれていきます。それぞれ才能を花開かせて学校で目立つ存在だった3人の元友だちのプライドをずたずたに引き裂くことで亜里沙は復讐を遂げていきます。まるで少女版モンテクリスト伯です。

まず、一人目。すべりやすい地下水路を走り回って魚を捕るうちに走ることが速くなった亜里沙は、短距離走で記録を持っていた元友だちのその記録を破ります。
次ぎに二人目。地下生活で老夫婦から得た知識を駆使して、席次が1番の元友だちを抜き、定期テストで学年トップに躍り出ます。
3人目はどうだったのか、この2番目の子の話が印象に残りすぎていて実はよく覚えていないのです。

亜里沙がこのテストを受けている場面が今でも忘れられません。「わかるわ!全部わかる。あの老夫婦が教えてくれたことは、応用の効く基礎的なことばかりだったのね!」(言葉は少し違うかもしれませんが、だいたいこんな感じだったと思います。)と亜里沙は呟きます。
その時、この話にのめり込んで読んでいたわたしは、一気に現実に引き戻されたような感じがしました。「えぇ~!うそや~、基礎は基礎や!」
基礎ばかり習っても応用は効かない、と思いましたので、この言葉には非常に違和感を抱きました。
「基礎的なこと」ではなくて、「根本的なこと」とあれば、少しは納得したかもしれません。
満足に本もない鍾乳洞で老夫婦がいかに博学であったとしても、全教科をくまなく教えることができるものか。「漫画やから、何でもありか? それはないやろ!」と一人つっこみを入れながら読んでいました。

 その後何年経ってもこの亜里沙の言葉が忘れられませんでした。どんな勉強法をとれば5年もの間、学校に通わずに、いきなり高校で学年トップになれるのか?

各教科個々の別々の勉強をしていたのではきっと無理だと思います。
亜里沙が教えられたのは全ての教科に繋がる、全ての分野に繋がる勉強法だったんだ。と思うようになり、それは「頭の使い方」と言うのだ、と最近気付きました。
やみくもに暗記して詰め込んだ知識はテストが終わると同時に忘れ去られてしまいます。
工夫の無い計算をいくらこなしたとしても、文章題で読み解く力がなければ出番がありません。
得たそれぞれの知識どうしや現実を関連させる、つぎつぎに知識の枝を広げていくことが最も効率の良い学習法なのだと思うのです。
ぶつ切れの学習を続けている限り、紙の上の学習だけをありがたがってしている限り、広がりのある学習はできないと思うに至りました。
 
亜里沙は「基礎的なこと」として気付かなかったけど、わたしは何年もかけて納得することができました。この漫画の趣旨とは全く違うところに拘り続けた結果です。漫画も侮れないものだな、と思いました。

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